「ふぅー……」
彼は安堵の胸をなでおろすように、大きく息をついた。
吐いた声と息は薄らと白くなっている。
そこまで大きいとは言えない、こじんまりした駅から出たのはいいが……寒すぎる。
ガタンゴトン、と後ろから音がする。
後ろを振り向けば先ほどまで彼が乗っていた電車が駅から出発したようだ。二両しかないところが田舎を感じさせる。
季節は冬。しかもこの地域では雪が毎年積もる。住人にとっては当たり前の光景。
空は曇天。パラパラと降る雪。一歩踏み出せば、サクリという音。薄く積もっている。
「うっへぇ、滑る……ブーツ履いてきたのは大失敗だな……」
ずっこけないように、ソロソロと歩き出す彼は道を調べる素振りもない。
まるで、知っているように。
「七年ぶりだけど、案外変わってないもんだな……」
そう、
この地に足を踏み入れたのは実に七年ぶり。
彼の瞳は、今の天気のように曇っている。
何も言わずにこの地に寄らなくなった理由を、あの従姉妹は知っているのだろうか。
あの時、手を、兎を差し伸べてくれた少女は、今????
「くだらない……今更だ。今更なんだよ……あー、さみぃ、くっそ……」
ゴチャゴチャ考えても仕方がない。自分は仕事をしにきたのだから。
ズルズルと慣れない雪道を歩く彼は、
七年ぶりに、この雪の都に訪れた彼は、
相沢祐一。死者を滅ぼす埋葬機関という組織の代行者と呼ばれる吸血鬼ハンターの一員――――
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
のはずだが。
「なんじゃこりゃ……」
駅から歩いて五分。祐一は喫茶店にてホットブラックコーヒーを冷えた身体を温めるように、両手で包むように持ち上げてちびちびと飲んでいた。
呟いた彼の視線には、仕事内容が記述されている書類。
一旦コーヒーをテーブルの上に置き、その書類の裏を見る。
何も書いてない。
ヒラヒラと振ってみる。
一枚しかない。
「ペライチの依頼書なんて初めてだぜ。しかも何だよこの内容……」
その一枚の紙には、
学園施設にてとある女子生徒が毎晩出現し、何かと戦闘行為を繰り返している。
被害は、施設の窓ガラス等。
女子生徒および戦闘対象の生死は問わず。
簡素にまとめるとこう記されている。
あれ?吸血鬼は?
「何かって書いてあるくらいだし、俺が派遣されるんだから相当脅威……ってことかね……」
コーヒーを口に含もうとして、空になっていることに気づく。
「あら……すいませーん! コーヒーおかわり下さいー!」
「はーいっ。今行きますね~!」
そして一寸待っているとおかわりのホットが運ばれてきた。
ニコニコと微笑みながら。
「はいっ。お待たせしましたっ」
一杯目と同じウエイトレス。同じ歳くらいか、少し上か。バイトらしき少女だ。
しかし、頭の後ろに巻いている馬鹿でかいリボンが目立つというか、幼さを感じさせる。
いや、まあ、似合っているんだけど……。
「はぇ? 佐祐理の顔に何か付いてますか~?」
「さゆっ!? あ、いや、なんでもない。コーヒー頂きます……」
「はい、ごゆっくり~」
言えない。いきなり接客してるのに一人称が名前で吃驚したなんて。
ズズっと再びブラックで飲み始める。温まるし、うまい。それにこの香り……サイフォンで挽いてるな。素晴らしい。
「コーヒーはうまいんだが……」
一枚の書類をやや乱暴に折りたたみ、折りたたみ、ポケットにねじ込んだ。
書類が入ってた封筒は後でゴミ箱行きだ。
「毎晩って、何時だよ……相変わらずアバウトな情報しか寄越さねえ……」
ため息をひとつ。
コーヒーをひとくち。
「陽が沈んでから、このクソ寒い中、張り込めってことだよなぁ……俺、寒いの苦手ってこと知ってるだろ、シエルのやつめ……」
愚痴はいくつでも出せるらしい。
だがそんなこと言っていても仕方ない。仕事は仕事だ。
「さて、ガッコー……ねぇ……」
伝票を持ち、席を立つ。
荷物は小さめのボストンバッグひとつのみ。目立つ荷物は何も持っていない。
「一先ず……ホテルに荷物を置いてくるかねぇ」
コーヒー二杯分を支払い、ありがとうございました、と先ほどの佐祐理という少女の声を背に聞いて。
キンキンに冷え込んだ夜の街へと歩を進めた。
「あっぶねっ!?」
……雪でズッコケそうになりながら。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
この街には進学校がある。
上から数えた方が早い、優秀な学園だ。
その学園の三階廊下。
そこで、ありえないことが起きていた。
何かが激突した音。
鉄と鉄が激突したような重い音が響く。
微かに、火花も散っているらしい。
一分も経たないうちに、再び。
激突した余波があるようで、周りのガラスが外へ向けて弾けていく。
三階の高さから、ガラスの破片が宙を舞う。
雪と交わり、きらりきらりと。
「……ふっ」
己を鼓舞する為に、短い息をひとつ。
少女は、西洋の剣を構える。正面に構えれば、少女の頭を少し越える長さの真剣。
ガラスが無くなった窓から冷たい風が入り込み、ポニーテールを揺らす。
「……舞は、わたしを、拒否するんだ、ね……?」
相手の問い掛けに、少女は更に鋭く睨み、剣を向ける。
剣を向けている相手は、15歳くらいだろうか。
幼い少女に見える。ポニーテールの髪を揺らし、まるで剣を構えている少女の、妹のよう。
「……っ!」
構えた剣を強く握り締め、地を蹴り上げる。
きゅっとしたリノリウムが擦れる音と共に剣が空を走る。
「……そっか……しかた、ない、ね……」
その剣を迎え撃つ為に、何かが少女を包み込む。
そして、空間がその何かに圧迫され、みしりと軋む。
そのありえない現象を前にしても、舞と呼ばれた剣の少女は、怯むこと無く????
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
そんなことが起きてるとはつゆ知らず、ホテルに手荷物を全て預け終えた祐一は。
「学校……どこにあるんだ……?」
滅茶苦茶寒い中迷子だった。
何も情報がないまま、夜の雪国を彷徨っている。
……この男、本当に何も情報がないのだ……。
「シエル……覚悟しとけよ……」
白い息と情けない声。
先ほどよりも徐々にだが積もりつつある雪。
「まぁ、上から見ればなんとかなるか……ん?」
ぼやいてると、何かの音を耳が拾う。
何かが打ち合う音。がつん、がつん、と。
それならばと、ぐっと足に力を入れ。
「ほ――――っと!」
一足飛びで、近くの三階建てアパートの屋根へと飛び乗った。
ずぶりと積もった雪に足が埋もれる。
人の身ではありえぬことをしたが、祐一にとっては当たり前のことだ。
「あっちの方から聞こえたな……ん、あれだな、ガッコー」
目指すべき場所をようやく見つけることが出来たし、丁度事柄も起きているようだ。
ならば、行くとしよう。
「よいしょっと!」
そんな間抜け気味な掛け声を口から吐きながら、軽々と屋根から屋根へと飛んで乗り換えてを繰り返す。
「なんだありゃ……? 魔力の塊……? それにしちゃ意思があるように動いてやがる」
その戦闘を目にして、疑問が浮かぶが、仕事をしよう。
生死は問わず。
その文言を思い出すが。
「あの程度なら、殺す必要なんざなさそうだが……」
ニヤリと不適な笑みを浮かべ、いつの間にか、祐一の右手には、刀身が黒い刀が握られていた。
その刀を包むように、魔力と呼ばれる力が漂う。
ぎしりと軋み始める空気が、心地よいと言わんばかりに、祐一の笑みは強くなっていく。
ぎぎぎぎ、と魔力が祐一すらも包み、振り上げた刀が、咆哮を上げ????
「!?」
「んぇ!?」
こちらに気付き、驚愕する女どもなんぞ知ったことか。
渦巻く魔力を纏った刀を。
三階の教室に向け、知らない誰かの家の屋根から飛び込み。
外から、壁ごと少女たちを、壊してやろうと。
「はっはーっ!」
不気味な笑みとともに、振りぬいてやった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
つづく